石橋湛山賞
小学校の同級生である藤川剛司氏が中江兆民の研究で「石橋湛山賞」を受賞しました。
思うところあり、ブログ記事をしたためることにしました。
中江兆民
中江兆民は日本の思想家、著作家で、第1回衆議院議員選挙における国会議員である [1]。ルソー (Rousseau) の社会契約論を日本語で「民約訳解」として翻訳し、俗に「東洋のルソー」と呼ばれている。
- 1874 年 (明治7年): 民選議員設立の建白書 [2]
- 1882 年 (明治15年): 民約訳解を出版。
- 1887 年 (明治20年): 三酔人経綸問答を発表。
- 1889 年 (明治22年): 大日本帝国憲法 [3]
- 1890 年 (明治23年): 第1回衆議院議員選挙, 中江兆民が大阪府4区で当選 [4]
- 1891 年 (明治24年): 中江兆民が議員を辞職
- 1901 年 (明治34年): 一年有半を出版。
三酔人経綸問答
中江兆民は 1887年 (明治20年)、三酔人経綸問答を出版した [6]。この本は、3人の日本人が社会の成り立ちや仕組みについて飲みながら語り合うという、対話篇である。
洋学紳士は民主家、豪傑君は侵略家、その間を取り持つ南海先生という組み合わせで、日本の国の形を議論している。
洋学紳士は西洋列強をモデルにして民主主義と(今でいう)基本的人権を日本に根付かせようと力説する。一方、豪傑君はいわゆる現実主義者や保守強硬派といった役どころで、洋学紳士に真っ向から反対する。
100 分で名著ではこの本を平田オリザが解説するという内容が取り上げられた。[7]
当時としては先進的な内容に驚愕するとともに、フランス政治思想の力強さには驚嘆する。
当時のフランス
中江兆民は1871 年フランス留学に向かい、1872 年2月(洋歴)にパリに到着した([8]に詳しい)。
この頃のフランスは普仏戦争を経て第3共和政に移行している([9]に詳しい)。1870 年に普仏戦争が勃発して早々に、皇帝のナポレオン3世がプロイセン軍の捕虜になった。その後プロイセン・ドイツの野心は成功し、ヴィシー政府樹立まで約70年間第3共和政が続く。
この普仏戦争の敗北とともに、文化面でも祖国運動が活発になる。音楽界では、1871年にサン=サーンスらが発起人となって「国民音楽協会」が結成された [10]。フランクも参加して、こののちフランス管弦楽はドビュッシーらの印象派音楽の誕生を迎える。
日本で憲法が制定される1890年代には、サン=サーンスとフランクが交響曲を発表し、
中江が留学したのはこのようなフランス激動の時代だった。中江が持ち帰った知識が日本にも影響を与えていく。
植木枝盛
中江兆民の翻訳したルソーに影響されて、植木枝盛がフランス的な私擬憲法(憲法草案)を書き上げた。[11]
植木の憲法草案は、戦後日本の憲法の礎の一つとなった [12, 13]。植木の憲法草案は教科書で1度触れたのみだったが、原文を見たときにはほとんど日本国憲法と同じではないかと驚いたものだった。
特筆すべき点は、よく知られたように抵抗権が明記されている点である。植木はその後、中江とともに第1回衆院選挙で高知から当選した。
終わりに
人民の自由と平等はいかにして達成されうるのか。石橋湛山が再度注目されたのは、昨年の石破茂首相選出がきっかけだったように思う。自由主義者の石橋が日本に登場したのは決して偶然ではなく、民権運動以来、中江、植木、他の先人たちが敷いてきた道があったからだと私は思う。
台湾という土地に初めて赴き、日本の帝国主義の失敗、植民政策の歪みを肌で感じた身として、自由主義者石橋が領土縮小を主張した [14] のは間違いではなかったと改めて思った。台湾人民の帰属意識や感情を無視してアジアの平和が達成されることはありえないのである。
台湾における日本の直接的軍事行動の発端は、1874 年の台湾出兵だった。それにより、沖縄県は対外的にも東京政府に帰属することが確認された。この年は、奇しくも民撰議員設立の建白書と同年であり、これは全くの偶然というわけではない。この時期を境に政府は征韓論→不平士族の反乱→自由民権運動と、分裂と衝突を繰り返すこととなった。
その後の歴史は、いうまでもなく軍拡と軍縮を繰り返す戦争の連続だった。
日清戦争(甲午農民戦争)→日露戦争→シベリア出兵→満州事変→日中戦争→日独伊三国同盟→英米開戦(大東亜戦争)=太平洋戦争
日清戦争の勝利から、50年で日本帝国は見るも無惨に崩壊したのだった。そして敗戦後も朝鮮戦争→ベトナム戦争→湾岸戦争→ (アフガン侵攻)→イラク戦争と、戦争協力が止むことはなかったと言ってよい。
ロシア・ウクライナ戦争とイスラエル・ガザ戦争においても、日本はアメリカへの協力という1点では一貫している。
ここで、フランス革命の標語の博愛に代わる言葉を私は提案したい。平和とほぼ同義だが、最近「調和」ということが社会には必要だと感じている。それは音楽の技術に喩える事が出来る。平和や調和は事なかれ主義とは対極にあるものである。そこにはエネルギーが必要である。また音楽には「休符」という概念が存在していて、何もしない時間にも楽器が「休む」という役割を果たしている。
中江兆民がフランスから、特に社会契約論から民主主義思想を吸収したのだったが、彼の破天荒な人生は真似できるものとは思えない。代わりに密やかに、自由と平等を希求する全ての人民に調和の時が訪れることを私は祈ります。
元同級生の中江兆民の研究が世に評価されたことは、素直に嬉しく思います。この度はおめでとうございます。
私も社会に貢献できるようなささやかな仕事を残したいと思う今日この頃です。
[1] Nakae Chōmin https://www.britannica.com/biography/Meiji
[2] https://www.digital.archives.go.jp/gallery/0000000007
[3] https://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html
[4] https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/302
[5] https://x.gd/odxGD
[6] https://x.gd/Nsk23 Amazon 三酔人経綸問答
[7] https://mag.nhk-book.co.jp/article/41718
[8] https://seikei.repo.nii.ac.jp/record/2000276/files/hougaku-98_267-318.pdf
[9] https://ycu.repo.nii.ac.jp/record/2002013/files/%E4%BA%BA%E6%96%8760-3%EF%BC%88%E6%9D%BE%E4%BA%95%EF%BC%89.pdf
[10] https://research.piano.or.jp/series/saint-saens/2020/07/4_2.html
[11] https://www.ndl.go.jp/france/jp/part1/s1_2.html
[12] https://web.archive.org/web/20101028070040/http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/minaosushohan26.html
[13] https://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/02/052shoshi.html
[14] https://www.nikkei.com/article/DGXDZO12375970X00C10A8CR8000/